『鬼滅の刃』は、主要人物であっても容赦なく人が死んでいくという、少年誌らしからぬマンガです。
しかし、それでも少年誌っぽい要素は随所に見られます。
たとえば、「○○の呼吸」もそうですね。
ストーリーの流れとしては、鱗滝さんに「型」を教えてもらい、先輩・真菰に「実践方法」を教えてもらい、さらに蝶屋敷で「全集中・常中」という発展技を会得するなど、「修行してどんどん技がグレードアップする」少年誌的(特にジャンプ的)な設定があります。
ここも、「○○の呼吸」に便乗して「英語の呼吸」と勝手に言っていますが、どうせここまで来たら、もっと展開していこうということで、原作と同じように、「全集中・常中」を会得してもらおうかなと思いました。
全集中・常中とは?
「全集中・常中」は、四六時中「全集中の呼吸」をしつづける技です。
それを「英語の呼吸」でもやっちゃおうぜ、英語の基礎体力を飛躍的に上げて行こうぜ、というのが狙い。
本編では「朝も昼も夜も 寝ている間も全集中の呼吸をする」ということですが、「英語の呼吸」では、(英語圏で暮らす以外)さすがにそれは難しいので、あくまでも気持ちとして「常に英語の感覚を持つ」という風に読み解いていきます。
「英語の呼吸」はちびっ子たちの「○○の呼吸」と同様、
半分シャレですが、半分は「英語を真面目に取得したい」という人のためのものです。
「全集中・常中」は、
胡蝶さんによると「基本の技というか初歩的な技術」ではあるものの、「会得するには相当な努力が必要」とのことなので、皆さん頑張って「英語の呼吸 常中」を身につけてほしいですね!
炭治郎が必死こいて修行して会得した「全集中・常中」を身につけるのと同じ覚悟とまではいかないですが、「自分は頭が悪い」とか卑下せずに、炭治郎のように、「日々の積み重ね」で少しずつでいいから前に進みましょう!!
英語の呼吸における、全集中・常中とは?
そもそも、我々日本人は、「ライト」「ナイフ」など日本語にもなった「英単語」には触れています。
しかし、日常的に(言語としての)「英語」には触れていないですよね。
それで「英語」を自由に使いこなせないのは当たり前ですよね。
学校でも「英語」という教科を教えてくれてはいますが、学校の定期テストでは「教えてもらったことをおぼえていれば」そこそこの点数を取ることができます。
でも、だからといってそれで「英語が使える」と言える人は少ないですよね?
学校で学ぶのは、「日本の学校の中で通じる英語(学校英語)」だからです。
英語の呼吸における「全集中・常中」ということは、学校英語と一線を画します。
英語というものを常に意識して生活する、つまり「英語脳」を身につけることです。
「英語脳」とは、書き方や発音、英単語、英文法だけではなく、英語的な考え方や文化的なところまで含めて「英語を英語で理解する」という考え方です。
日本人なのに「英語で英語を理解する?」
と聞くと、難しく感じるかもしれません。
もちろん、日本語も使います。
ただ、「日本語をメイン」にしない、ということです。
全集中 英語の呼吸・常中=「英語脳」
私たちが学校で英語を教えてもらっているとき、どうやって教えてもらっていますか?
一対一ですか?
違いますよね?
国語や数学と同じように、一対多、もしくは二対多になっていますよね。
誤解をおそれずに言えば、あくまでも、教える「教科」としての英語であって、英語が使いこなせるようになるための授業ではありません。
「英語」はそもそも、私たちが使う日本語と同じ、「言語」です。
では私たちは日本語を、教室で教わりましたか?
違いますね。
基本的な日本語は、家庭、そして保育園や幼稚園、学校の中での会話、テレビや動画、本などから学んでいったものですよね?
だから、成績がオール1でも日本語は話せます。
日本に生まれ、日本語の中で生活し、日本語で考えることで、日本語を身につけてきたわけです。
(文法や言葉遣いが正しいかは別問題ですが)
本気で英語を身につけたい、というのであれば、英語で英語を身につける、そして日本語はそのための「助け」として利用する、という考え方が大事です。
英語を「英語の考え方」で理解する
といってもピンと来ないので例をあげましょう。
こちらは第1話で、鬼になった禰豆子が炭治郎を襲っているシーンの、原作と翻訳版の同じコマです。
たとえば左端のセリフ、「頑張れ」ですが、英語では「You can do it!」になっていますね。
「You can do it!」はそのまま直訳すれば「あなたはそれをすることができる」で、日本語的な表現にすれば「君なら出来る」とか、芸人・ティモンディ高岸みたいに「(あなたも)やればできる」という訳になります。
「頑張れ」と似ているような違うような、微妙な感じですよね。
でも、じゃぁ肝心の、日本語の「頑張れ」ってどういう意味ですかって大人に聞くと、「『頑張れ』は『頑張れ』だよ」と答えになってない答えが返ってくる可能性が高いです。
それくらい、
日本人にとって「頑張れ」という言葉は当たり前の応援表現であって、
英語圏の人の「You can do it」も、当たり前の応援表現なんですよね。
このことは、「英語をそのまま日本語にしよう」「日本語をそのまま英語にしよう」と思っていると出てこない発想です。
あくまでも、英語で語るなら、英語の常識にもとづいて語る、というわけです。
そのためにどうするかというと、やっぱり、何度も言っていますが「習うより慣れろ」ということになっちゃいます。
そういう意味で、全編英語の作品に触れる、ということはとてもいい経験になります。
ただ、それだけでは効率が悪かったりするので、英語の常識に基づいた、英語の呼吸を身につけ、それを使いこなせるようになるように、意識し続ける、ということが大事なんですね。